愛のペンパル活動開始宣言書

                           泉佳孝(1995)


 集団が人を精神的に追いつめ心の傷を与えたり自殺にいたらしめたりす
る。それがいじめに他なりません。いじめの犯人は集団なのです。いじめ
は集団による人権侵害行為なのです。そして、学校という閉鎖的空間に封
じ込められた少年少女達は、学校での挫折がそのまま自己のアイデンティ
ティの否定につながり、自殺という自己否定の道を選択することもありま
す。また、登校拒否はいじめから自分の生命を守るために少年少女達がと
れる唯一の防衛手段です。しかし、自殺にいたる少年少女達の多くは、登
校拒否という唯一の防衛手段もとることができずに自己否定の道にいたり
ます。これは登校拒否が親の期待を裏切る行為であると少年少女達が思う
からです。つまり、学歴社会の価値観によって家庭も学校そして少年少女
達自身も同質化してしまっているのです。一般社会の多様性を知ることも
なく、少年少女達は学歴至上主義に支配された家庭と学校という閉鎖空間
に病理的に押し込められ、地域社会での関係も希薄化しているため外部の
他者や一般社会とのコミュニケーションも遮断されているのです。家庭と
学校という閉鎖空間にしか居場所がないわけですから、そこでの挫折が自
己のアイデンティティの全否定につながるわけなのです。問題は、少年少
女達が学校と家庭という閉鎖空間に一面的に埋没しているため、学校での
成功という一元的な物差しで自己の全存在を評価する事実です。もう少し
少年少女達が広い世界を生きていれば、多様な価値観から自己を見つめる
ことができ、自己存在の全否定=自殺には結びつかないはずです。

 少年少女達の居場所を家庭と学校以外にも確保するためには、家庭と学
校の外部にいる他者とのコミュニケーションが必要となります。愛のペン
パル活動は、家庭と学校とは異なった立場から、純粋な他者として少年少
女達とコミュニケーションをとり、新たな精神的居場所を確保しようとす
る活動なのです。ボランティアと少年少女達との関係は、いかなる集団的
枠組みからも自由である個と個の対等な関係を目指しています。なぜなら、
本当の愛とは集団の役割ではなく、個々の実存の自発的な意思によるもの
であるからです。特に、自己とは異なる他者の神秘性を尊重する他者愛の
精神こそが大切なのです。他者と関わり、他者から個性(唯一性)をあり
のままに受け入れられることを通じて、少年少女達自身が自己の存在その
ものを唯一なものとして愛することができれば、一元的な物差しで自己を
評価する自分から解放されるのではないかと思います。他者との関係を通
じて、自己が他の誰とも違って世界に一つしか存在しないのだと実感した
とき、少年少女達が自己否定の道にいたることはないでしょう。

 このように、他者愛を基本とした自由で平等な他者とのコミュニケーシ
ョンを通じて少年少女達の世界=居場所を広げ、実存としての存在価値に
目覚めさせ、いじめによる自己否定を防止しようというのが、愛のペンパ
ル活動の基本原理なのです。


 同じ世界に住む住民として、心ある一般市民の方々の参加、協力を期待
しています。

                              (了)